長城
河北省山海関から、甘粛省まで至り、総延長は2400Kmに及びます。
一般に長城を作ったのは秦の始皇帝だと認識されているが、明代に作られたものもあります。戦国時代から趙などは北の異民族に備えるために長城を建設していました。また北に備えるだけではなく戦国七雄の国境間にも長城が作られていました。始皇帝は中華を統一した後に中国の中にある長城は取り壊し、北に作られた長城を繋げて大長城としたのです。この時の長城は土製で、馬や人が乗り越えられなければ良いということで、それほど高い城壁ではなかったといいます。また現在の物よりかなり北に位置し、その東端は朝鮮半島に及びました。
前漢の武帝は匈奴を追って領土を拡張したので、長城は西の玉門関まで拡張されました。その後の五胡十六国時代に異民族の力が強くなり、北魏は南よりの現在の線に新しく長城を築きました。
北京 故宮
1987年に登録された北京の故宮博物院は世界最大の皇宮で、明と清の24代にわたる皇帝の宮城でした。また、2004年追加登録された瀋陽の瀋陽故宮は清の前身・後金の皇帝ヌルハチとホンタイジの皇宮ならびに清王朝の離宮でした。
故宮博物院は、1924年に北洋軍閥の一人である馮玉祥が溥儀を紫禁城宮殿から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したのが始まりです。1925年当時の所蔵品点検レポートによると所蔵品総数は117万件を超えており、博物院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して多様な陳列を行ないました。
承徳 避暑山荘
承徳避暑山荘と外八廟(しょうとくひしょさんそうとがいはちびょう)は、中国河北省承徳市にある離宮です。
避暑山荘は清の皇帝が沈陽に抜ける際、立ち寄る場所として87年にわたり整備された離宮です。この離宮の整備にあたっては蘇州の寒山寺などがモチーフにされています。その周りには寺廟が周りを取り巻いています。これを外八廟といいます。外八廟にはポタラ宮をモデルにして建造された普陀宗乗之廟(ふだしゅうじょうしびょう)があり、外八廟はチベット様式と中国の様式を折衷した代表的様式として知られます。
避暑山荘(ひしょさんそう)は、中国四大名園の一つでもあります。総面積5460平行キロメートルで、周囲の城壁は10キロメートル。
西安 秦の始皇帝陵/兵馬俑
秦始皇帝陵及び兵馬俑坑(しんしこうていりょう および へいばようこう)は秦始皇帝の陵(墓)とその周辺にある兵馬俑坑のユネスコの世界遺産(文化遺産)としての総称です。
秦始皇帝陵は中国史初の皇帝でしたが、その強大な力を利用し大きな陵墓を建てました。これが秦始皇帝陵です。また兵馬俑坑は、この陵を取り巻くように配置され、そこから出土した等身大の土偶はみな、東を向いています。この兵馬俑の発見は特に、中国史の研究上、当時の衣服の構造や始皇帝の思想などを知る上で貴重な史跡の一つです。兵馬俑坑は、現在発掘され公開されているところのみならず、その周辺にも大量の未発掘の部分がありますが、発掘と同時に土偶の表面に塗られた色彩が消えることなどの理由から、発掘がなされていません。
兵馬俑(へいばよう)は、本来は古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったものを指します。ちょうど日本の埴輪のようなものですが、現在では、秦の始皇帝の陵墓の周辺に埋納されたもののみをさすことが多いです。
杭州 西湖
西湖(せいこ)は、中国浙江省杭州市にある湖。地質学的には、一万二千年程前に形成された潟である。秦の始皇帝が銭唐に至り浙江を臨むとの記述が史記に見えるが、これが史書に見える西湖に関する初出であるといわれる。当時、まだ淡水化していなかったこの潟は銭塘江の下流、三角州の一部の干潟であったと考えられる。
地理
位置:杭州市西郊にあることから西湖と呼ばれている。
水深:干潟であったことを示すように、西湖の水深は平均1.8m、最も深いところでも2.8mしかなく、非常に浅い湖である。
大きさ:南北3.3km、東西2.8km、外周15km、水域面積5.66平方km。
名称
この干潟も漢代に淡水化し、武林水・時聖湖などと呼ばれた。西湖という名称が用いられるようになったのは唐代に入ってからだが、同時に銭源、銭唐湖などとも呼ばれており、固定していない。また、唐代にそれまでの銭唐から銭塘へ用字の変更がおこなわれた。西湖の名称が固定したのは宋代に入ってからである。
伝承
西湖にまつわる伝承は多い。京劇白蛇伝の白素貞が入水したといわれる白堤、蘇軾の造営によるという蘇堤など、西湖十景と呼ばれる観光資源が豊富である。
中でも有名な伝承は中国四大美人の一人、西施入水にまつわるもので、この故事により西湖の名称が定着したというものである。しかし、呉越の時代にはまだ西湖は淡水化しておらず、漢代でも尚西湖とは呼ばれていなかったことから、この伝承は後代のものであろう。
資源
西湖では現在漁業は行われておらず、湖水は灌漑にも用いられていない。このため、観光が唯一にして最大の資源である。周囲には六和塔、岳飛堂、銭塘江、龍井などがあり、龍井茶の産地としても知られる。
このうち、銭塘江は毎年中秋のころに潮汐の関係で大逆流を起こすことで知られる。
西湖十景
断橋残雪、平湖秋月、曲院風荷、蘇堤春暁、三潭印月、花港観魚、南屏晩鐘、雷峰夕照、柳浪聞鶯、双峰挿雲
蘇州 古典庭園
蘇州の古典園林は、江蘇省蘇州にある庭園の総称。登録された庭園には、拙政園、留園、網師園、環秀山庄、怡園、獅子林、滄浪亭、藕園、藝園があります。そのうちの拙政園と留園は、中国の四大庭園に入っています。
蘇州の歴史は、4000年以前に遡ります。約2500年前(紀元前514年)の春秋時代に、蘇州は「呉」の国の都としてはじめて蘇州城を造りました。隋王朝の開皇9年、一州となって郊外の姑蘇山にちなんで蘇州と名づけました。
蘇州城は非常によく保存されており、今の蘇州のレイアウトは2500前の古城そのままです。それは、歴史の長い中国でもめずらしいことです。歴史と文化の名城として、蘇州には名所旧跡が非常に多いです。
安徽 黄山
黄山(こうざん)は、中国・安徽省にある景勝地。伝説の仙境を彷彿とさせる独特の景観から、古くから「天下の名勝、黄山に集まる」と言われ、数多くの文人が訪れた。秦の時代には仙山と称されたが唐の時代には現在の黄山の名前に改められた。
黄山に立ち並ぶ岩石は古生代に出来たもので、それが長い年月を経て浸食され、現在の様な断崖絶壁の景観ができあがった。海抜1000m以上の峰が多数あり、特に三主峰と呼ばれる蓮花峰、光明頂、天都峰があり、その他69の峰がある。また、黄山には奇松、怪石、雲海、温泉があり、「黄山の四絶」と称された。これが「天下の名勝、黄山に集まる」と言われる所以であると言われる。この名声で多数の文人が訪れ、幾多のスポットにその独特の発想で名前が付けられた。